
何も間違わずに生きてきたのに、何か違和感がある気がする。
だって、駅で発狂することなく真面目に働いている。警察にお世話になるようなトラブルも一度も起こしてもない。
休みの日は他人に迷惑掛けずに趣味を楽しんでいるのに、ふとした瞬間に孤独感が襲う。
しかも、30代になると大盛りは食べれないし食べたい料理もなし。
性欲はまだあるけど、あの頃のような元気はない。ぶっちゃけ休日は、ダラダラ寝てるだけで一日が終わるだけ。
本当に何も間違っていない状況なのに、コレが正解なのかと違和感がある。
説明できないけど、確かにある。
もしあなたの毎日が充実していたら、それはそれで羨ましい。
言いたいこと
「選択肢が見えるかどうか」
東京では街を歩けば、店は頻繁に入れ替わり、すれ違う人はほとんどが知らない人たちです。誰にどう見られているかを気にする必要もなく、自分がどんな人間かを、その都度表現しやすい街だと言えます。
一方で地方の町では、そうはいかないです。
繁華街に行けば知り合いや友人に会い、新しい店ができれば、その噂は一瞬で広まります。人間関係は、必ずどこかで繋がっていて、知らない顔でいること自体が難しいです。
この環境では、人間関係が固定され、自分の「立ち位置」や「役割」も早い段階で決まっていきます。
・結婚しているか、していないか。
・どんな仕事をしているか。
・どの家の人間か。
変化が緩やかな地域社会では、流行だけでなく、生き方や考え方も更新されにくいてです。
その結果、何が起きるか。
別の人生が見えないまま、年齢だけを重ねる。
まだ何者にもなっていないはずなのに、周囲からは、すでに「◯◯な人間」として扱われる。
キャラが固定されるんですよね。
このズレこそが、「何も間違っていないのに、何かおかしい」という違和感の正体です。
Contents
「選び直し」が急に難しくなる年代
30代に入ると、人生は一気に分岐し始めるとマジで思います。
20代の頃は、友人とくらべても正直そこまで大きな差はありませんでした。収入も立場も似たり寄ったりで、「これから何者にでもなれる」感覚があった気がします。
しかし、30歳を越えたあたりから、状況が変わります。
・家庭を持つ人。
・会社で昇進していく人。
・地元に根を張り、立場を固めていく人。
似たような場所に立っていたはずなのに、いつの間にか、それぞれ異なるレールを走り始めている。
この頃から、年収、役職、家族構成などで、差は数字と生活で見える形になります。
SNSを開けば、キラキラした部分を大量に見せられるけど、他人の「結果」だけが流れてくるだけ。
頭では分かっていても、「なんでアイツが?」という感情が湧くこともあります。
それは自分の性格が悪くなったのではなく、私たちは比較を避けられない環境に置かれるからです。
さらに厄介なのは、30代から背負う責任です。
住宅ローン、家族、役職、地域での立場。一度選んだ道を、簡単に引き返せない人が自然と増えていきます。
だからこそ、40代や50代の先輩が言う
「まだ若いよ」「やり直せるよ」という言葉は、どこかズレていると思っちゃうんですよね。
体力も時間も、確実に減っている。しかも真面目に働いていても、手取りは思うほど増えず、生活に余裕はない。
無鉄砲に挑戦する余裕が、急速に削られていく感じです。
明らかに30代とは、「何者になるか」を選ぶ最後の年代ではなく、「もう簡単には選び直せなくなる」年代です。
孤独は「欠陥」ではない
会社と家を往復する毎日でも職場では会話があり、最低限の人付き合いもある。仕事もしているし、社会的に見れば何の問題もない。
でも、それだけだ。
本音を生で出せる場所がない。
自分の弱さを見せても、評価や立場が揺らがない関係が存在しない。
これは個人の努力不足ではないと思う。30代になると人間関係は自然と「役割ベース」に変わっていく
どの関係にも、期待される振る舞いがある。
その中で、本音は扱いにくい。
だから多くの人は、無責任でも安全な場所として、SNSに感情を投げると思う。
誰にも本当の顔を見せずに済む、都合のいいはけ口として。
ぶっちゃけに言えば、30代を越えて中身が急に大人になるわけじゃないですよね。
何歳になっても他人の何気ない一言で傷つくし、評価されなかったことで落ち込みます。
本当に。
ただ、子供のように感情をぶつけない術を覚えただけで、涼しい顔をしてやり過ごす方法を身につけただけです。
もちろん時間、気力、経済的な理由で恋人を作る余裕がない人もいる。だけど、どれか一つ欠けるだけで、プライベートで人と深く関わるのは難しくなる。
孤独に襲われるけど、決してそれは異常ではない。今の社会では、極めて自然に生まれる状態だと思う。
問題なのは、「孤独=ダメな人間」というラベルを貼られること。
なぜ地方では「孤独=問題」になりやすいのか
正直に言えば、まだ東京に暮らしていたら、今ほど自分を責めずに済んだ気がします。
数百円の電車賃を払えば、あらゆる場所に簡単に行けて、一流のものや多様な価値観に触れられます。
大都市では独身か既婚かに関係なく、「どう生きているか」より「今、何をしているか」が重視されやすい気がします。
人が流動的に入れ替わるからこそ、過去の肩書きや属性に縛られにくいです。
一方、地方では事情が違います。
人の入れ替わりが少なく、人間関係は長く、狭く続いていく環境下です。そんな中で評価軸も固定されやすくなっていきます。
そこで分かりやすいのが「結婚して一人前」という価値観です。
令和の時代になっても結婚していないだけで、どこか「何か足りない人」と見られる雰囲気。
仕事をして社会の中で役割を果たしていても、ただタイミングが合わなかっただけなのに、なぜか十分とは認められない風潮があります。
もうこれは個人の問題ではありません。
人が流動的に入れ替わらない地域では、どうしても少数派の生き方が目立ちやすくなります。そして本来は多様であるはずの人生が「普通」と「それ以外」に分けられてしまいます。
その環境に長く身を置いていると、ふとした瞬間に、こんな考えが頭をよぎります。
「このまま、ずっと独身だったらどうなるんだろう」
それぞれ事情があって結婚していないだけなのに、周囲が次々と家庭を持っていくのを見ると、自分だけが取り残されているような感覚になります。
そして、その感覚は静かに自己肯定感を削っていく。
何も間違っていないのに、なぜか満たされない30代へ
一番言いたいのは、孤独は「異常」じゃないってこと。
もしかしたら趣味や推し活、仕事に熱中しているから、恋人の存在を求める方まで気が回らないかもしれない。
もし今、説明できない違和感を抱えているなら。それは壊れてないし変じゃない。
まだ、自分の役割を選んでいないだけだと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
今日も良い一日を。
人生楽しもうね。


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